【うつみんより転載】
難病など存在しない
こういうだけで多くの人が逆ギレ反応を示し、もしくは困惑してしまいます。病気について本質的な定義とは何かを考えるに、病気とは何か?と問われた時にほとんどすべての人が、「苦痛」や「症状」と同列して語ることが多いのです。確かにその気持ちはわかります。この考えこそが...
【うつみんより転載】
難病など存在しない
こういうだけで多くの人が逆ギレ反応を示し、もしくは困惑してしまいます。病気について本質的な定義とは何かを考えるに、病気とは何か?と問われた時にほとんどすべての人が、「苦痛」や「症状」と同列して語ることが多いのです。確かにその気持ちはわかります。この考えこそがあなたが治らない根源的な理由です。その苦痛が病気であること、その症状が病気であることを直結させてしまえば、それは対症療法であるアロパシー医学への道を開くだけです。
なぜ医学において診断をするのかを考えねばなりません。その診断は枠にはめて安心したり、グループ化するためのものではありません。その診断はすべて本質的な治療に結びつくためにこそ存在する価値があるのです。違う意味でいえば医学不要論では、その病気、その定義、その診断が治療に本質的に直結しなければならない。はっきりいってしまえば症状はあるが原因が不明なものは、すべて「原因不明の難病」とか「医学ではなおらない病」などに統一してもらえば結構です。
クローン病、潰瘍性大腸炎、肥大型心筋症、間質性肺炎、全身性エリテマトーデス、バセドウ病、橋本病、多発性硬化症、脊髄小脳変性症、繊維筋痛症、筋ジストロフィー、結節性多発動脈炎、その他挙げるとキリがありませんが、そんなものは存在しません。しかし治らない人ほどこの病気を熱弁し、自分の辛さを主張し、自分の症状を主張しますが、その原因を考え自分の行動を考え、自分の精神にいかに問題があるかはまるで考えません。すべてクレクレくんのクレクレたるゆえんです。
当院にも世界で何人とか、私も聞いたことのないような病名とか、国家試験だけで出たようなあーあーみたいな病名の人が来ることがあります。それでも治る人は治ります。治りますけど上記のような人は治りません。つまりここは治る人が通る第一の分岐点です。治らない人と治らない人の家族は、様々な治らない病気、苦しんでいる症状はどうするのだ?とすぐに反論します。堂々巡りですが、人間はもともとそれらの病気にはかからないことを知らないのですからしょうがありません。
病名がないには二つの意味があります。一つは証拠証明なくして医学の病気と規定することさえできないという話。もう一つはもともと人間の病気ではなかったのに作られた、仕立てられたという話。この二つです。野生動物や先住民は癌にはまずなりませんが、野生動物や先住民が長生きしないからではありません。野生動物や先住民がかかる病気の筆頭は感染症、骨折による死、飢餓、老衰に伴うものであって、リウマチでびっこを引いている野生動物も難病で苦しんでいる野生動物も存在しない。彼らには糖尿病などという生活習慣病も当然皆無です。
難病とは必然であり、これは決して宗教的な感覚ではなく明確な科学的および歴史的考察なのです。確かに現代社会が存在しているので、難病になってしまったらしょうがないのですが、そこから考えを巻き戻さない限り、本当の意味での治癒は可能性としてさえ見えなくなります。難病とやらをよくしたいなら、現代医学における病気作り、基準の捏造による偽の病気や、化学物質、環境物質、栄養素などによる様々な問題点を振り返り、自分の精神のどこに問題があるかを省みて、真の原因を明らかにするよりありません。